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Posted by ミリタリーブログ  at 

2014年09月24日

統合特殊作戦タスクフォース・ノース

北部での特殊作戦を担当したのは、統合特殊作戦タスクフォース・ノース (Combine joint special operation task force North) であった。この部隊は、タスク・フォース「バイキング」としても知られている。その中核部隊は、第10特殊作戦群(空挺)であり、この選択は非常に賢明なものであった。

この部隊は、1991年から96年のクルジスタンで、国連主導の作戦「プロベイド・コンフォート作戦」に参加し、イラク北部にいたクルド族を、サダム・フセインの迫害から救ったことのある、経験豊富な部隊であったのだ。

第10特殊作戦群と協働したのは、第3特殊作戦群 第3大隊であり、この部隊は作戦直前にアフガニスタンから帰還したのだ。第20特殊作戦群および第7特殊作戦群 第2大隊は、統合特殊作戦タスクフォース・アフガンを2002年9月に引き継ぎ、第3特殊作戦群 第3大隊を解放してバイキングの応援に対応した。

第123特殊戦術分隊は、地上のバイキングODAを支援する任務に選定された。バイキングにアタッチした通常歩兵部隊は、第10山岳師団 第14連隊 第2大隊と第173空挺旅団であった。もともと、バイキングに求められた戦争計画は、南部から進軍する第4歩兵師団を支援し、トルコからバクダッドへ進軍することであった。

トルコがアメリカ軍の駐留を拒否したため、第4歩兵師団の作戦は、結果的に中止となり、バイキングは、バクダッドへ援軍に向かう北部のイラク軍を阻止することとなった。バイキングの要員は、トルコの空域を避けるような別の進行ルートを探し始めた。公式な陸軍特殊作戦資料によると、バクダッドに通じるすべてのルートを簡潔に解説されている。

トルコが北軍の駐留を拒否したことから、支援部隊から支援司令部に変わった。北部に強力な歩兵部隊がなかったため、第10特殊作戦群は、クルド・パシュメーガを組織し、13個イラク歩兵部隊と装甲師団を維持し、バクダッド北部をけん制した。これは、軽武装の特殊部隊にとって、非常に難しい任務であった。

2002年、無数の第10特殊作戦、CIA工作員が、クルジスタンへ侵入した。彼らは、クルド人根拠地アルビール(Arbil)のハリア・バレー(Harir Valley)を基地にし、地上の情報を収集し、パシューメガを組織・訓練した。これらのチームは、最終的にバイキングODAの露払いとなった。2001年のアフガニスタンでのジョーブレーカーと同じような役割であった。

第10特殊作戦群は、第5群の特殊装甲車両を装備しておらず、そのため、民間の車両を徴用しなければならなかった。実際に、第5特殊作戦群は、第3特殊作戦ぐんと共に多くの車両をアフガニスタンに残してきており、そのため、大急ぎで、ノーマルの装甲車両をイラク戦仕様に改造した。

230台程度のノーマル戦術車両があり、そのほとんどが白のレンジローバー、30台がトヨタ・ハイラックスであり、それらは購入され、特殊部隊の仕様に改造された。これらの車両は、トルコの保管倉庫から供給され、トルコ政府から細かい干渉や妨害を受けながらも、最終的にクルド国境を越えることができた。

しかしながら、最初の地上作戦は2003年3月19日未明に開始され、機動部隊バイキングは、など、イラク北部へ侵攻するルートを探していた。



次回更新は10月8日です。1週間、お休みを頂きます。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)知識編

2014年09月17日

統合特殊作戦タスクフォース・ウェスト

アフガニスタンの特殊作戦グループ「ダガー」が復活し、統合特殊作戦タスクフォース・ウェストとなり、再び第5特殊作戦群のマルホールランド大佐が指揮することとなった。

第5特殊作戦群 分遣隊アルファ(ODA)の任務は、大きく2つあった。1つは、スカッドミサイルが配備されている地域で、弾道ミサイルの正確な位置の把握と、その発射台の破壊、さらに、イラク軍が既存の発射施設を使用することを妨害することであった。2つ目は、情報収集と通常軍の支援として、イラク西部のイラク軍の正確な位置を把握するための索敵作戦であった。

第5特殊作戦群のODAは、特殊分遣隊ブラボー(ODB)の指揮命令下に置かれた。ODBは、前線基地(Advanced Operating Bases・・・ AOB)として機能し、改修された「ウォー・ピグ(戦争のブタ)」という中型車両が提供され、移動補給機能を担った。この概念は、1990年代の第5特殊作戦群で初めて研究された、イギリス特殊部隊が「砂漠の嵐」作戦で、ウニモグを使った前線補給基地「マザーシップ」が基となっている。

第5特殊作戦群は、イラク西部および南部を統合特殊作戦エリア(JSOA・・・Joint Special Operation Area)と設定し、作戦を行った。部隊の1つは、前線作戦基地51とAOB520およびAOB530の指揮下にあり、ODAの第1大隊を構成し、ヨルダン国内の空港の付近に司令部を置き、西部方面を担当していた。第2、第3大隊のグループは、クウェートのアリ・アル・セーラム空軍基地から、それぞれFOB52およびFOB53として展開し、JSOA南部に展開した。

配備された全チームには、第23特殊戦術分隊(STS)から派遣された特殊戦術空軍士官がおり、彼らは、近接航空支援やODAチームより上位の航空管制を行った。第19特殊作戦群からの中隊は、ダガーの指揮下に入り、FOBの防衛し、通常軍としての役割のみならず、即応部隊の役割を果たした。これは、アフガンでレンジャーに与えられた役割である。

戦争が進むにつれて、第19特殊作戦軍 第1大隊 A中隊は、通常軍との連絡部隊となった。ODA911および913は、第1海兵遠征軍を支援した。914は、2つのチームに分けられ、1つは、ODA916とともに第3師団へ配属され、もう1つは、イギリス第1機甲師団に配属された。

ODA915は、第101空挺師団と行動を共にし、第3歩兵師団に続いて西部の砂漠へ進出した。ODA912は、統合軍特殊作戦軍種部隊司令(Combined Forces Special Operation Component Command・・・CFSOCC)のハレル司令の個人保安部隊(Personal Security Detail・・・PSD)の任務を負った。

アメリカ特殊作戦軍に加えて、タスクフォース・ダガーは、イラク作戦に配備された4個特殊作戦タスクフォースの連合軍特殊部隊の最大部隊を指揮下においていた。イギリス特殊部隊は、第22特殊空挺連隊からBおよびS分隊、特殊舟艇部隊からC分隊が派遣され、さらにイギリス空軍からは、支援要員が派遣されていた。アメリカ参謀本部は、これらはまとめて、タスクフォース7として指定した。

オーストラリア特殊作戦司令部(Australian special operation command・・・SOCOMD)は、特殊空挺連隊(SASR)から第1分隊、第4大隊から1個中隊、オーストラリア軍からSASRの支援パトロール部隊を派遣した。

オーストラリア軍は、この部隊をアフガニスタンでの部隊を復活させて、タスク・フォース64と名づけた。イギリスとオーストラリア特殊部隊は、それぞれ北部と中央統合特殊作戦エリアに配備され、第5特殊作戦群と同じ任務に就いた。このとき、オーストラリア軍は、アメリカ軍の指揮下に入ることを容認したが、イギリス特殊部隊は、独自の作戦を放棄する前に、十分な説明を要求した。

追加事項で、IFF(敵味方識別装置・・Identification friend or FOE)関連で発生したが、イギリス軍は、最終的にアメリカ軍からブルー・フォース・トラッカー(BFT)を貸与されることで解決した。オーストラリア軍は、米軍空軍とアフガニスタンと協働したように再び共に活動し、パトロールには、米空軍のCCTを伴った。


次回更新は9月24日 統合特殊作戦タスクフォース・ノース です。
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それはさておき・・1

9/23、Vショー出店いたします。しかし・・・・新刊はありません。すんません。



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タグ :特殊部隊


Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)知識編

2014年09月10日

イラク戦争概略2

驚くべきことであるが、イラクの自由作戦の原案の作成は、2001年12月から開始されていた。2001年12月といえば、まだアフガニスタンで特殊部隊が活動してる頃であり、未だにその趨勢すら分からないときである。

このときすでに大綱は決まっていたのだが、国務長官ラムズフェルドの要請により、中央作戦軍司令トミー・フランクスは、さらに細部を詰めていた。イラクの地政的情勢をくわしく分析すると、1991年の湾岸戦争のときのような、大規模空爆よりも、陸・空の綿密な協働が必要であることが判明し、その戦いの様相は、10年前の戦いとはまったく次元が異なるものとなった。


この作戦には、特殊部隊の活躍が絶対に必要なものとなり、特殊部隊の信頼性はアフガニスタンで実証されていた。この頃、中央作戦軍司令部は、アフガニスタンの指揮権をアフガン特殊作戦司令部へ移譲しており、イラク戦の策定に全力を傾けていたのだ。


イラク戦策定を統括したのは、グレイ・シューター・ハレル准将であった。グレイ准将は、2002年6月に指揮官となったが、その前は、第10、第7特殊作戦軍、第1特殊作戦分遣隊デルタの指揮官であった。まさに叩き上げの特殊作戦司令官であり、特殊作戦に不慣れなフランクス大将を大いに助けた。

グレイ准将は、特殊部隊を北部・西部・南部の3つの大きなエリアに配置する作戦を提案した。イラク西部では、広大な砂漠に展開している移動式スカッドミサイル発射台を追跡しつつ、偵察部隊と調査部隊が通常軍の侵攻を援助する。

北部は、現地のクルド人パシュメーガゲリラと協働し、イラク歩兵師団をバクダッドの競合地帯から駆逐して戦略的重要地域を確保し、後続の通常部隊の侵入を容易にする。この作戦は、北側の国境を接するトルコが協力を拒否したため、通常軍は展開できず、特殊部隊だけで行うこととなった。

南部は、特殊部隊が石油生産施設を占領し、その石油を特殊偵察部隊に提供するとともに、南部に点在する重要施設・幹線道路を確保する。
これら3つの大規模特殊部隊とは別に、第4の秘密特殊部隊が編成された。この部隊は、イラクのどこかにある大量破壊兵器の捜索と確保、およびフセイン政権首脳らの逮捕が目的であった。

2003年になって、ブッシュ大統領がイラク戦争を裁可すると、作戦決行日は2003年3月20日と決定された。3月20日未明、第1段の作戦、「衝撃と恐怖(Shock and Awe)」作戦が開始され、イラク上空で連合軍の爆撃機が空爆を開始した。空爆の対応に追われ地上が手薄になっている隙に、特殊部隊は通常軍の先陣を切るような形でイラクへ侵攻した。

空爆を行った膨大な数の爆撃機の中に、4発の2000ポンド レーザー誘導爆弾を搭載したF-117Aナイト・ホークがあった。この爆撃機の目的は、バクダッド郊外のドラ・ファームで戦闘指揮を取っているといわれるサダム・フセインとその息子2名(ウダイとクサイ)をピンポイントで爆撃することである。

レーザー誘導爆弾は確実にドラ・ファームの建物に命中したが、すでにフセインたちは逃走した後で、奇襲作戦は失敗した。その失敗を受けて、ペルシャ湾に展開する全てのイージス艦から、フセインたちが隠れそうな施設すべてに向けて、数百発のトマホークミサイルの一斉射撃が行われたが、このミサイル攻撃でも、フセインたちを殺すことはできなかった。

3月20日早朝、これはサダム・フセインとその息子が国外退去するリミットを過ぎた時間に、通常軍は、クウェート国境を越えた。第3歩兵師団がV集団をリードして、西部の砂漠を横断して、ナジャフ、カルバラ、そしてバクダッドに向けて北進した。

海兵隊第1遠征軍が、ナシリア・クートに向け、イラク南部中央の砂漠を進んだ。また、イギリス第1武装師団は、バクダッドの東部を北進してバスラヘ向かった。第4歩兵師団によるイラク北部からの攻撃は、トルコの協力を得ることができず実行されず、特殊部隊だけが、イラク北部へ侵入した。

次回更新は9月17日 統合特殊作戦タスクフォース・ウェスト です。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)知識編

2014年09月03日

イラク戦争概要 1

多くの軍事専門家が、イラク戦争で特殊部隊が革命的な進化を遂げ、重要な役割をしたと分析している。専門家がこのように分析するのは、この戦争で始めて、通常部隊と特殊部隊の主従の関係が逆転し、特殊部隊の活動を通常部隊が支援し、特殊部隊がイラク軍の機械化部隊と戦い、大勝利を収めたからである。

国防省の発表によると、通常軍がイラクに侵攻する数ヶ月前に、すでに2個統合特殊部隊がイラク西部・北部に展開し、特殊作戦を行っていたようである。これらの部隊は、わずかな人数であったが、その戦力は、十分に大規模作戦を行えるだけの能力を持ち、実際にクウェートから進撃を開始した通常部隊を支援していた。

この2個統合部隊、つまり西部統合特殊作戦軍(C/JSOTF-West)は、ヨルダンおよびサウジアラビアからイラクへ侵入した。これらの部隊の任務は、砂漠に点在する簡易空港を占領し、シリア・ヨルダン国境から伸びる幹線道路を封鎖し、フセイン政権首脳の逃亡を阻止することであった。

この任務のほかにも、砂漠のあちこちに配備された移動式スカッドミサイル発射台を追跡し、イスラエルへ発射されることを防ぐことも含まれていた。

中央作戦軍参謀本部は、今回の作戦の立案において、特殊部隊を北部・東部イラクに配置することで、バクダッドを孤立させることを主眼としていた。実際に、北部・東部から圧力をかけることで、イラク軍の南北の移動に相当な制約が加わり、作戦は成功した。

繰り返しになるが、イラク戦争は、特殊部隊が地上戦において主力となった戦いである。このような作戦が成功したのは、特殊部隊同士の連絡が綿密であっただけでなく、サウジやクウェート、さらにフロリダの総司令部とも、連絡がスムーズに行われた結果である。

イラク戦争は、通信手段の飛躍的な向上により、すべてのレベルで通常軍が特殊部隊を支援し、その支援を受けて、特殊部隊は、戦闘行為だけでなく、深度偵察、地方での特殊工作が可能となった。通常軍の支援の見返りとして、特殊部隊は、彼らに重大な情報を提供したのだ。

従来、特殊部隊は、ヘリコプターで敵地に運ばれ、短期間の作戦を行うものであったが、今回は多くの戦闘旅団に配備され、通常軍とともに戦い、バクダッドの最終戦も参加した。両者の関係は、その「文化」が大きく異なるにもかかわらず、非常に良好で大きな混乱は起こらなかった。

このようなことが可能となったのも、特殊部隊の将校が、各師団・連隊司令部に配属され、通常軍の司令官と協働して作戦を立案・遂行したためである。これは、過去には考えられなかったことである。

イラク戦争における、特殊部隊と通常軍の相互支援が、この大作戦成功の鍵であることは疑いようがなく、将来のアメリカ軍の形を作ったとも言える。


次回更新は9月10日 イラク戦争概要2 です。
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