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Posted by ミリタリーブログ  at 

2014年11月05日

アン・シフニ攻略

TFバイキングは、アン・シフニ攻略の前に再編成された。この町は、モスルまでの幹線道路の途中にあり、戦略的に非常に重要な町である。

仲間の部隊が西から侵入するのに従い、第10および第3SFGのODAは、イラク軍に対して早急な空爆を要請した。非常に正確で激しい爆撃であったため、イラク軍は早々に退却し、4月5日まで、アン・シフニ周辺に残ったイラク軍は、わずか2個小隊だけであった。

6日、ODA051、055、および056により、攻撃が開始された。051は、300名のパシュメーガ部隊を率いて、攻撃を開始し、一方、055と056は、同じくパシュメーガと共に、重火器による火力支援を行った。051が町に接近すると、激しい銃撃を受けたが、攻撃はこの一回のみで、イラク軍2個小隊はすぐに後方の大隊へ向けて退却してしまった。大隊には82mm迫撃砲が装備されているようだった。

4時間の空爆と2時間の重火器隊の支援の後、攻撃部隊は、アン・シフニに突入することに成功した。すぐに、後方のイラク軍による、迫撃砲の支援を背に受けた奪還作戦が行われたものの、ODA051に撃退されてしまった。同じ日、アン・シフニの南東で、もう1つの作戦が特殊部隊により行われていた。デベッカ峠の戦いである。


それはさておき・・・・
誠に私事ながら、来る12月末に行われるコミックマーケット87に当選いたしました。お察しの通り、コミケにナレッジレポーツの新刊を投入したいので、そちらの方にエネルギーを注ぎたく、たいへん申し訳ございませんが、11月いっぱい、お休みを頂きます。
あと、イベントも続きますので・・・・・

11/9 帝都軍事宴会3
11/16 ビクトリーショー
11/23 東京コミティア+コミックNEXT
11/29-30 大阪ショットショー です。

11/9の帝都軍事宴会3では、ナレッジレポーツの新刊、VOL8を発売します。


疲れがたまってて、文章がまずくて申し訳ありません・・・・  


Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)知識編

2014年10月29日

ヴァイキング・ハンマー

作戦の決行は、3月21日に計画されていたが、地上部隊は、主力の第10特殊作戦群 第3大隊のイラク侵入が遅れたため、数日間足止めを食らった。トマホークTLAMミサイルの攻撃は、地上部隊投入前の前攻撃として21日深夜に行われる予定であった。イラク戦争は、非常に速いテンポで行われる予定であったため、この攻撃が遅れることは許されなかった。

攻撃開始日未明、64発のトマホークミサイルが発射され、アンサー・アルのキャンプ地に命中した。一方、特殊部隊は、爆撃損害評価(Bomb Damage Assessment・・・BDA)を実行するため、偵察任務を継続していた。

地上攻撃部隊が6個、放射状に3月28日に投入され、1個のグループは第3大隊からの複数のODAと1000名以上のパシュメーガ部隊で編成され、主力攻撃部隊はサガット(Sargat)に向けて進んだ。サガットには、生物・化学兵器工場があると考えられていたためである。しかし、周辺には12.7mm重機関銃が配備された丘陵があり、米軍は進撃を妨げられた。

海軍から2機のF/A18が飛び立ち、直ちに近接航空支援を行い、2発の500lb-JADAMを機関銃陣地に投下した。その後、パイロットは、戦場から撤退する前に、燃料が続く限り、20mmキャノン砲で機関銃陣地に向けて機銃掃射を繰り返した。空爆の後、前進が再開され、イラク軍が米軍の進撃を食い止めることができたの者は、DShKとPKMの機関銃陣地だけであった。

ODA081は、移動車両にMk19自動グレネードランチャーを装備しており、イラク軍の機関銃陣地を圧倒した。クルディスタン愛国同盟(PUK)は、グルプ(Gulp)を占領し、続けて当初の目的であったサガットを攻撃した。サガットは、すでに要塞化されており、BM21-MLRS(ロケット砲システム)を搭載した車両などが配備されていた。

すでにクルディスタン愛国同盟の部隊が展開していたため、空爆することができず、ODAは、M2マシンガンでイラク軍陣地を片っ端から掃射した。これにより、パシュメーガ部隊が迫撃砲を投入することができるようになり、イラク軍陣地を次々に砲撃した。この攻撃に耐えかねたイラク軍はアンサーから撤退した。

TFバイキングは、ダラマール渓谷を確保するために前進した。同渓谷は、岸壁の洞窟によって囲まれている、非常に険阻な土地である。パシュメーガ部隊は、再び小火器やRPGなどで攻撃を受けたが、これに対し、米軍と共に40-50mmグレネード砲で徹底的に応戦した。しかしながら、しばらくすると、これ以上、航空支援なしで前進できることが分かった。

50口径銃機関銃を掃射し、その後、6発の500ポンドJDAMを投下すると、イラク軍は抵抗することをやめてしまったのだ。28-29日の夜に、4機のAC130がアンサー一帯に機銃掃射によって、イラン国境へ撤退するイラク軍にプレッシャーをかけた。

29日、TFバイキングは、耕地を占領すると、渓谷を通り抜けて前進し、渓谷に点在する小さな反抗拠点を攻め潰していった。ヴァイキング・ハンマーが任務を完了したことに続き、第3大隊とパシュメーガ部隊は、キルクークとモスリムの前進を助けるため、安全地帯まで撤退した。SSEチーム(Sensitive Site Exploitation取り扱いに注意を要する用地開発)がサガットにある証拠を収集するため、投入された。

このチームは、様々なリコンなどの化学物質、科学防護服、アトロピン注射器などの化学研究所・工場の痕跡を回復し(イラク軍は撤退際にこれらの施設を爆破した)、さらにアラビア語に翻訳された化学兵器やIEDの解説書を回収した。

施設の遺体の検分により、多くのアンサー・アルの防衛に就いていた兵士が、様々な国からの志願兵であったことが分かった。300名以上の遺体が確認された。パシュメーガ部隊の死傷は22名、米軍の損害はゼロであった。


次回更新は11月5日です。
ご意見・ご感想をお待ちしております。




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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)知識編

2014年10月22日

攻撃開始

イラクの自由作戦での最初の攻撃は、第160特殊航空連隊の航空機によるものであった。2機のMH60L(ブラック・ホーク)および4機のブラック・スワム、さらに2機で1組のAH6(リトル・バード・・前方赤外線レーダを装備)が飛び立った。

これに加えて、各ブラック・スワムには、2機1組のA10がマーベリック対戦車ミサイルを装備し、AH6の装備である50口径マシンガンおよび2.75インチロケットで対応できない敵に対応することになっていた。


現地時間3月19日21:00時。ブラック・ホークとリトルバードの攻撃編隊は、最初の交戦目標である、西部・南部に展開するイラク軍監視ポイントを攻撃した。飛行隊は、ヘルファイア対戦車ミサイルを発射した後、30mmキャノン砲を掃射した。

攻撃編隊は、MH6の先導により攻撃目標を選定し、攻撃が難しい場所では、上空を旋回するA10に攻撃を任せた。闇夜の7時間の戦闘で、70箇所以上の監視ポイントが破壊された。効果的にイラクの軍早期警戒システムを破壊することができた。

イラク軍監視ポイントが排除されると、制空権が確保され、特殊部隊の第1陣がヘリコプターによってヨルダンが侵入を開始した。これと平行して陸上から英豪特殊部隊が、SOAR第3大隊の支援の下、イラクへ侵攻した。早朝、TFダガー、TF20の陸上部隊と連合軍党首部隊がヨルダン、サウジアラビア、クウェートなどから一斉にイラクへ侵入した。

TFバイキングは、隷下の特殊部隊全部が侵入に遅れていたが、さらに侵入が遅れた。最終的に、作戦立案者は、コンスタンツァ、ルーマニアなどの国を経由してイラク北部へ部隊を進めた。特殊部隊の士官は、この作戦の杜撰さを皮肉って「アグリー・ベイビー(醜い赤ちゃん)」と呼んだ。

3月22日、アルビール(Arbil)に、6機のMC130Hコンバット・ターロンが着陸し、大規模な部隊がイラク付近に到着した。この輸送は、危険要素がないわけではなかった。多くのMC130がイラクの地上攻撃に投入され、イラク軍の対空砲の反撃を受けた。

そのため、ある機体は、深刻な損傷を受け、皮肉にもトルコのインクリーク空軍基地に不時着するものもあった。初期に輸送された部隊は、第10SFGから19個ODA、および4個ODBであり、これらはイラク北部から侵入した。

3月23日、ついにトルコ政府は、米軍機が領空を飛行することを許可し、最後の3機のMC130がクルド人の根拠地アルビールからバスルへ向けて飛行し、応援部隊を輸送した。

最終的に、51個のODAおよびODB、さらに6万のクルド人パシュメーガ武装勢力がイラクに展開した。大量輸送が行われたはずであるが、実際には、特殊部隊は現地で輸送手段を確保しなければならず、十分な数の装甲車が到着したのは、それから数日後であった。

3月26日、第173空挺旅団が特殊部隊とパシュメーガが占領したバスル空港への降下作戦を成功させた。第173空挺旅団は、キルクーク油田を確保するために派遣された。TFバイキングは、当初、北部・南部末端のクルド国境線のグリーン・ラインに配備された。

彼らの当初の目標は、3つの部分に分かれていた。
1つはイラク北部に展開する13個のイラク軍師団がバクダッドに援軍として入城しないように妨害すること。
2つはキルクークおよびモスルまで前進すること。
3つはイラン国境に点在するアンサール・アル・イスラムテロリストの訓練施設を破壊すること、である。

この作戦は、バイキング・ハマー作戦として知られている。アンサール・アル・イスラムとは、スンニ派のテロリストグループであり、アブー・ムスアブ・アッ・ザルカーウィーにより創設された。サルカーウィーは、ヨルダン出身の国際的テロリストであり、イラクにおけるアル・カイダの総司令官と自称していた。

調査によると、およそ700名のテロリストが反クルド人組織と共に渓谷に潜んでいるとされた。彼らは、複数の防衛拠点を構築し、その拠点には対空砲が配置されているとされた。また、生物化学兵器の原料や溶剤なども開発・保管されていると考えられていた。


次回更新は10月29日です。攻撃開始です。
ご意見・ご感想をお待ちしております。




それはさておき・・・・



ルイ・ヴィトンのサイラス・・

てか、最近、戦闘地域にも行かないクセして、最新のブランド装備で身を固めた兵士を
「グッチ・ギア」とか言って、バカにするらしいですね。
この写真は、その象徴的なものなんでしょうけど。

装備メーカーも、あちこちの基地にサンプル品を送りつけて、
そのサンプル品を入隊直後の新兵が喜んで装着してるってのも聞きますね。

装備メーカーとしても、サンプル品とはいえ、「部隊で使われてます」てな感じで写真がネット上に拡散すれば、注文も増えるようですし、
場合によっては、そんな雰囲気の写真をモデルとか使って撮影しちゃうらしいですね。
実際、最近のミリフォト見ても、本物の兵士じゃなくって、あきらかにモデルだなーってのがあるし・・
CNNやABCのニュースに出てくる一般人と比べて、ミリフォトが何であんなにイケ面ばっかりなのかと思うときがあります。

http://www.sealswcc.com/navy-seals-ethos.html#.VEYURf8cS70
SealsのHPですが、イケ面ばっかりで、明らかにモデルですよね。
人がモデルなら、装着してる装備もサンプル品って可能性もありますよ・・
そもそも、特殊部隊の装備って、そんなに簡単に見せていいもんなのかという疑問もあります。

「機密保持」という観点で考えると、
「秘密を絶対に外部に漏らさない」っていう手法と同時に
「偽情報を拡散する」っていうディスインフォメーション(Dis-information)というのがあって、ネットで拾える画像や情報ってのも、その「偽情報」なのかもしれません。


そう考えると、ミリフォトの信憑性ってどんなもんなんでしょうか?
あんまり、写真に写ってるもんを追求すると、装備メーカーの販売戦略にまんまとハマってるだけなのかも知れませんね。
「ネットにイメージ写真を拡散すると、日本から大量に注文が来る」、みたいな。



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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)知識編

2014年10月08日

Task Force 20と海軍特殊作戦機動部隊

Task Force 20
TFダガーと共にイラク西部に配備されたもう1つの特殊作戦部隊は、タスク・フォース20(以下TF20)である。TH20は、アフガニスタンでのTF11およびTFソードと同様のコンセプトであり、主にJSOC(統合特殊作戦コマンド)から抽出された部隊で、前第160特殊航空連隊指揮官、デル・デイリー少将が指揮した。

イラクでは、TF20は、すぐに第1特殊部隊作戦分遣隊デルタ(1st special force operational detachment-delta/1st SFOS-D)からC分隊が編成され、戦闘応用グループ(combat applications group/CAG)と呼称された。単にデルタと呼ばれることもあった。このデルタと共に、第75レンジャー連隊の3個大隊が付属した。

これに加えて、第82空挺師団より、強力な歩兵打撃部隊および緊急即応部隊として、補強部隊が追加された。この部隊は車載型ロケット砲システムにより間接的な攻撃力を有していた。(後の作戦では、装甲車両を装備した別のデルタ分隊がTF20に配属された) 

海軍特殊戦開発グループ(DEVGRU)からも部隊が派遣され、彼らの主な任務はヘリボーンによる直接戦闘であったが、TF20の指揮下に入った。

OGA(Other US Government Agency/政府工作員)およびSAD(Special Activities Division /特殊活動部隊)は、かつてアフガニスタンでグレイ・フォックスとして活動した情報支援工作員のように(コードネームは膨大にある)TF20の要員と行動を共にした。160th SOARからMH160K/ブラックホーク、MH60L/直接行動貫通機、HM6M/輸送機、およびAH6M/リトルバードが配備された。

TF20は、サウジアラビア西部のアラー(Ar'ar)にある空軍基地を密かに拠点としていた。TF20は、イラク内部の空港の占領や高価値目標(High Value Target/HVT)の確保、および特殊偵察を任務とされた。

戦闘開始前の主要目標の1つに、バクダッド国際空港の占領があったのだが、この空港占領作戦を実施するにあたり、大規模な通し訓練が2回行われたが、この作戦は実際には行われなかった。これは、実際に戦闘が始まるとイラク軍が逃げ散ってしまい、通常部隊が進出することで達成されたためである。



海軍特殊作戦機動部隊(Naval Special Operations Task Force)
海軍特殊作戦機動部隊(NTG)は、第4の特殊部隊としてイラクに配備された。この部隊は、海軍特殊部隊Sealsのチーム8および10を中心に編成され、位置づけは、特殊部隊の予備兵力であった。

HQ3大隊指揮下のイギリス海兵隊 第40および42コマンドー、およびSBS(海兵隊特殊舟艇部隊)のM分隊も配属された。これに加えて、アメリカ軍の心理作戦軍および民生部隊が投入された。

NTGの任務は、イラク内陸部にある湾口都市ウンムカスル(Umm Qasr)の占領であった。アル・ファウ半島(Al Faw)にある石油パイプラインおよび2ヶ所の原油をタンカーに積み込む沿岸プラットフォームがあったためである。この目標を確保した後、すぐにNTGは、南部の通常部隊の支援に向けられた。

航空戦力として、海兵隊 第15MEUと空軍 第20特殊作戦分隊から航空機が提供された。


次回更新は10月15日です。ハートロック参戦記です。
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2014年09月24日

統合特殊作戦タスクフォース・ノース

北部での特殊作戦を担当したのは、統合特殊作戦タスクフォース・ノース (Combine joint special operation task force North) であった。この部隊は、タスク・フォース「バイキング」としても知られている。その中核部隊は、第10特殊作戦群(空挺)であり、この選択は非常に賢明なものであった。

この部隊は、1991年から96年のクルジスタンで、国連主導の作戦「プロベイド・コンフォート作戦」に参加し、イラク北部にいたクルド族を、サダム・フセインの迫害から救ったことのある、経験豊富な部隊であったのだ。

第10特殊作戦群と協働したのは、第3特殊作戦群 第3大隊であり、この部隊は作戦直前にアフガニスタンから帰還したのだ。第20特殊作戦群および第7特殊作戦群 第2大隊は、統合特殊作戦タスクフォース・アフガンを2002年9月に引き継ぎ、第3特殊作戦群 第3大隊を解放してバイキングの応援に対応した。

第123特殊戦術分隊は、地上のバイキングODAを支援する任務に選定された。バイキングにアタッチした通常歩兵部隊は、第10山岳師団 第14連隊 第2大隊と第173空挺旅団であった。もともと、バイキングに求められた戦争計画は、南部から進軍する第4歩兵師団を支援し、トルコからバクダッドへ進軍することであった。

トルコがアメリカ軍の駐留を拒否したため、第4歩兵師団の作戦は、結果的に中止となり、バイキングは、バクダッドへ援軍に向かう北部のイラク軍を阻止することとなった。バイキングの要員は、トルコの空域を避けるような別の進行ルートを探し始めた。公式な陸軍特殊作戦資料によると、バクダッドに通じるすべてのルートを簡潔に解説されている。

トルコが北軍の駐留を拒否したことから、支援部隊から支援司令部に変わった。北部に強力な歩兵部隊がなかったため、第10特殊作戦群は、クルド・パシュメーガを組織し、13個イラク歩兵部隊と装甲師団を維持し、バクダッド北部をけん制した。これは、軽武装の特殊部隊にとって、非常に難しい任務であった。

2002年、無数の第10特殊作戦、CIA工作員が、クルジスタンへ侵入した。彼らは、クルド人根拠地アルビール(Arbil)のハリア・バレー(Harir Valley)を基地にし、地上の情報を収集し、パシューメガを組織・訓練した。これらのチームは、最終的にバイキングODAの露払いとなった。2001年のアフガニスタンでのジョーブレーカーと同じような役割であった。

第10特殊作戦群は、第5群の特殊装甲車両を装備しておらず、そのため、民間の車両を徴用しなければならなかった。実際に、第5特殊作戦群は、第3特殊作戦ぐんと共に多くの車両をアフガニスタンに残してきており、そのため、大急ぎで、ノーマルの装甲車両をイラク戦仕様に改造した。

230台程度のノーマル戦術車両があり、そのほとんどが白のレンジローバー、30台がトヨタ・ハイラックスであり、それらは購入され、特殊部隊の仕様に改造された。これらの車両は、トルコの保管倉庫から供給され、トルコ政府から細かい干渉や妨害を受けながらも、最終的にクルド国境を越えることができた。

しかしながら、最初の地上作戦は2003年3月19日未明に開始され、機動部隊バイキングは、など、イラク北部へ侵攻するルートを探していた。



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2014年09月17日

統合特殊作戦タスクフォース・ウェスト

アフガニスタンの特殊作戦グループ「ダガー」が復活し、統合特殊作戦タスクフォース・ウェストとなり、再び第5特殊作戦群のマルホールランド大佐が指揮することとなった。

第5特殊作戦群 分遣隊アルファ(ODA)の任務は、大きく2つあった。1つは、スカッドミサイルが配備されている地域で、弾道ミサイルの正確な位置の把握と、その発射台の破壊、さらに、イラク軍が既存の発射施設を使用することを妨害することであった。2つ目は、情報収集と通常軍の支援として、イラク西部のイラク軍の正確な位置を把握するための索敵作戦であった。

第5特殊作戦群のODAは、特殊分遣隊ブラボー(ODB)の指揮命令下に置かれた。ODBは、前線基地(Advanced Operating Bases・・・ AOB)として機能し、改修された「ウォー・ピグ(戦争のブタ)」という中型車両が提供され、移動補給機能を担った。この概念は、1990年代の第5特殊作戦群で初めて研究された、イギリス特殊部隊が「砂漠の嵐」作戦で、ウニモグを使った前線補給基地「マザーシップ」が基となっている。

第5特殊作戦群は、イラク西部および南部を統合特殊作戦エリア(JSOA・・・Joint Special Operation Area)と設定し、作戦を行った。部隊の1つは、前線作戦基地51とAOB520およびAOB530の指揮下にあり、ODAの第1大隊を構成し、ヨルダン国内の空港の付近に司令部を置き、西部方面を担当していた。第2、第3大隊のグループは、クウェートのアリ・アル・セーラム空軍基地から、それぞれFOB52およびFOB53として展開し、JSOA南部に展開した。

配備された全チームには、第23特殊戦術分隊(STS)から派遣された特殊戦術空軍士官がおり、彼らは、近接航空支援やODAチームより上位の航空管制を行った。第19特殊作戦群からの中隊は、ダガーの指揮下に入り、FOBの防衛し、通常軍としての役割のみならず、即応部隊の役割を果たした。これは、アフガンでレンジャーに与えられた役割である。

戦争が進むにつれて、第19特殊作戦軍 第1大隊 A中隊は、通常軍との連絡部隊となった。ODA911および913は、第1海兵遠征軍を支援した。914は、2つのチームに分けられ、1つは、ODA916とともに第3師団へ配属され、もう1つは、イギリス第1機甲師団に配属された。

ODA915は、第101空挺師団と行動を共にし、第3歩兵師団に続いて西部の砂漠へ進出した。ODA912は、統合軍特殊作戦軍種部隊司令(Combined Forces Special Operation Component Command・・・CFSOCC)のハレル司令の個人保安部隊(Personal Security Detail・・・PSD)の任務を負った。

アメリカ特殊作戦軍に加えて、タスクフォース・ダガーは、イラク作戦に配備された4個特殊作戦タスクフォースの連合軍特殊部隊の最大部隊を指揮下においていた。イギリス特殊部隊は、第22特殊空挺連隊からBおよびS分隊、特殊舟艇部隊からC分隊が派遣され、さらにイギリス空軍からは、支援要員が派遣されていた。アメリカ参謀本部は、これらはまとめて、タスクフォース7として指定した。

オーストラリア特殊作戦司令部(Australian special operation command・・・SOCOMD)は、特殊空挺連隊(SASR)から第1分隊、第4大隊から1個中隊、オーストラリア軍からSASRの支援パトロール部隊を派遣した。

オーストラリア軍は、この部隊をアフガニスタンでの部隊を復活させて、タスク・フォース64と名づけた。イギリスとオーストラリア特殊部隊は、それぞれ北部と中央統合特殊作戦エリアに配備され、第5特殊作戦群と同じ任務に就いた。このとき、オーストラリア軍は、アメリカ軍の指揮下に入ることを容認したが、イギリス特殊部隊は、独自の作戦を放棄する前に、十分な説明を要求した。

追加事項で、IFF(敵味方識別装置・・Identification friend or FOE)関連で発生したが、イギリス軍は、最終的にアメリカ軍からブルー・フォース・トラッカー(BFT)を貸与されることで解決した。オーストラリア軍は、米軍空軍とアフガニスタンと協働したように再び共に活動し、パトロールには、米空軍のCCTを伴った。


次回更新は9月24日 統合特殊作戦タスクフォース・ノース です。
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それはさておき・・1

9/23、Vショー出店いたします。しかし・・・・新刊はありません。すんません。



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タグ :特殊部隊


Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)知識編

2014年09月10日

イラク戦争概略2

驚くべきことであるが、イラクの自由作戦の原案の作成は、2001年12月から開始されていた。2001年12月といえば、まだアフガニスタンで特殊部隊が活動してる頃であり、未だにその趨勢すら分からないときである。

このときすでに大綱は決まっていたのだが、国務長官ラムズフェルドの要請により、中央作戦軍司令トミー・フランクスは、さらに細部を詰めていた。イラクの地政的情勢をくわしく分析すると、1991年の湾岸戦争のときのような、大規模空爆よりも、陸・空の綿密な協働が必要であることが判明し、その戦いの様相は、10年前の戦いとはまったく次元が異なるものとなった。


この作戦には、特殊部隊の活躍が絶対に必要なものとなり、特殊部隊の信頼性はアフガニスタンで実証されていた。この頃、中央作戦軍司令部は、アフガニスタンの指揮権をアフガン特殊作戦司令部へ移譲しており、イラク戦の策定に全力を傾けていたのだ。


イラク戦策定を統括したのは、グレイ・シューター・ハレル准将であった。グレイ准将は、2002年6月に指揮官となったが、その前は、第10、第7特殊作戦軍、第1特殊作戦分遣隊デルタの指揮官であった。まさに叩き上げの特殊作戦司令官であり、特殊作戦に不慣れなフランクス大将を大いに助けた。

グレイ准将は、特殊部隊を北部・西部・南部の3つの大きなエリアに配置する作戦を提案した。イラク西部では、広大な砂漠に展開している移動式スカッドミサイル発射台を追跡しつつ、偵察部隊と調査部隊が通常軍の侵攻を援助する。

北部は、現地のクルド人パシュメーガゲリラと協働し、イラク歩兵師団をバクダッドの競合地帯から駆逐して戦略的重要地域を確保し、後続の通常部隊の侵入を容易にする。この作戦は、北側の国境を接するトルコが協力を拒否したため、通常軍は展開できず、特殊部隊だけで行うこととなった。

南部は、特殊部隊が石油生産施設を占領し、その石油を特殊偵察部隊に提供するとともに、南部に点在する重要施設・幹線道路を確保する。
これら3つの大規模特殊部隊とは別に、第4の秘密特殊部隊が編成された。この部隊は、イラクのどこかにある大量破壊兵器の捜索と確保、およびフセイン政権首脳らの逮捕が目的であった。

2003年になって、ブッシュ大統領がイラク戦争を裁可すると、作戦決行日は2003年3月20日と決定された。3月20日未明、第1段の作戦、「衝撃と恐怖(Shock and Awe)」作戦が開始され、イラク上空で連合軍の爆撃機が空爆を開始した。空爆の対応に追われ地上が手薄になっている隙に、特殊部隊は通常軍の先陣を切るような形でイラクへ侵攻した。

空爆を行った膨大な数の爆撃機の中に、4発の2000ポンド レーザー誘導爆弾を搭載したF-117Aナイト・ホークがあった。この爆撃機の目的は、バクダッド郊外のドラ・ファームで戦闘指揮を取っているといわれるサダム・フセインとその息子2名(ウダイとクサイ)をピンポイントで爆撃することである。

レーザー誘導爆弾は確実にドラ・ファームの建物に命中したが、すでにフセインたちは逃走した後で、奇襲作戦は失敗した。その失敗を受けて、ペルシャ湾に展開する全てのイージス艦から、フセインたちが隠れそうな施設すべてに向けて、数百発のトマホークミサイルの一斉射撃が行われたが、このミサイル攻撃でも、フセインたちを殺すことはできなかった。

3月20日早朝、これはサダム・フセインとその息子が国外退去するリミットを過ぎた時間に、通常軍は、クウェート国境を越えた。第3歩兵師団がV集団をリードして、西部の砂漠を横断して、ナジャフ、カルバラ、そしてバクダッドに向けて北進した。

海兵隊第1遠征軍が、ナシリア・クートに向け、イラク南部中央の砂漠を進んだ。また、イギリス第1武装師団は、バクダッドの東部を北進してバスラヘ向かった。第4歩兵師団によるイラク北部からの攻撃は、トルコの協力を得ることができず実行されず、特殊部隊だけが、イラク北部へ侵入した。

次回更新は9月17日 統合特殊作戦タスクフォース・ウェスト です。
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